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近畿も梅雨明け!



異常気象と新型コロナの感染急増の最中、近畿も梅雨明けしました!
入道雲がモクモクと沸き上がり、クマゼミの合唱も一斉に高くなりました。
昨夕に神戸の空に、「火の鳥」が現れたそうです。
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昨日に続いて、今夕も激しい夕立です(@_@)
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今日は杖なしで、近くのスーパーへ自転車で往復出来ました\(^o^)/
自転車で坂道を上るのは出来ませんが、重い荷物を運ぶのには便利です。
しゃがむ動作には未だ痛みが走ります(>_<)
ボチボチ気長なリハビリです。
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大反響「虫とゴリラ」



今日の毎日新聞の朝刊に、アマゾン・ベストセラー一位「虫とゴリラ」の広告が載っています!
かつてのベストセラー「バカの壁」の著者で解剖学者・養老孟司さんとゴリラ研究の第一人者で霊長類学者・京都大学総長・山際寿一さんの提言です。
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早速神戸市立図書館に予約入れました。
全図書館で在庫が11冊有って予約26件なので、2カ月くらいで順番が廻って来そうです\(-o-)/

それにしても、国会の審議中に関係のない本を熟読する議員の姿が報じられています。
それも熊本県選出で、まさに熊本災害の復興を審議している委員会の場です。
モラルが低い!を通り越して舐めてんのか?と言いたくなります。
他にも大臣経験のある女性議員は、会議中にノンフィクション小説「女帝小池百合子」を読んでいる。別の議員は、スマホで健康食品の申込をしているとか・・・。枚挙にいとまがありません。

また週刊文春によると、現役の男性厚生副大臣と女性政務官議員が、こともあろうにコロナ禍の真っ最中に不倫を疑われるデート現場をスッパ抜かれています。一国のコロナ行政の重責を担うと言う意識に欠ける行為です。どちらも嘗ての大物国会議員の二世議員です。片方は元総理大臣の次男で、選出は岡山県!郷土の恥じさらしです。

次回の選挙をみていろよ(#^ω^)(#^ω^)(#^ω^)

波紋を呼んでる動画はこちら☞「会議中に無関係な本を読む議員」

ファミリーヒストリー③

その後、大正・昭和に活躍した田邊・土居の縁戚者:3人の従弟と一人の従弟の息子です。

★土居脩治(実業家)
★森本慶三(宗教家)
★岸本鹿太郎(軍人)

★従妹の息子・豊田正敏(技術者)

3人の従弟は、こちらのブログ☞「戦時下の従弟3人」

従弟の子・豊田正敏は、こちらのブログ☞「電力業界で活躍した身内」

ファミリーヒストリー②

1)作州土居家
①土居四郎次郎康正は、河野氏と共に四国の覇権争いに敗れて、岡山美作国津山の神楽尾城主大蔵氏を頼って落ち延びます。
神楽尾城は、南北朝から戦国時代にかけて美作の代表的な山城でした。
広島の毛利氏は美作攻略の拠点として、大蔵氏を置き、宇喜多勢に相対しました。
土居康正は大蔵氏の与力として働きますが、やがて下田邑に帰農します。

②この地で営農に励み、江戸時代初期には津山松平藩10万石の大庄屋を命じられています。
その後、松平藩の大庄屋13家の中土居が3家が占めるようになっています。
明治以降は銀行(土居銀行後の中国銀行)や製紙会社、鉄道会社(現JR津山線)などを経営し、津山の殖産興業に尽くしました。
土居家
郷土史「美作大庄屋・年寄記」「美作の大庄屋」に顛末が載っています。
KIMG0474.jpg

KIMG0475.jpg

③我が家は、天和元年(1681年)に分家として、土居伊右衛門が美作国・田邊蝕に居を構えました。
所管は、6か村石高2469石でした。
この時家系図の写しを設えたものが現存しています。
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ファミリーヒストリー①

ファミリーヒストリーの探索の始まりです!

1)土居氏の興り
①鎌倉時代・1200年代中頃に、蒙古襲来の戦で大きな活躍を果たした伊予国の豪族・河野通有の弟・通成が浮穴郡土居荘に一家を建てたのが始まりです。
KIMG0364_20200725083759839.jpg 家系図より

②通成の兄・河野通有
蒙古襲来絵詞に登場する通有(中央の無帽の人物)
河野通有 拾い画像
元寇における河野通有の働きについてはこちらに詳しく☞Wikipedia

③通成の子・通増は元弘3年(1333年)後醍醐天皇に味方し、同族得能氏や忽那氏と連合して、挙兵し、鎌倉幕府の与党を破り、隠岐の島から天皇を兵庫に迎えた。
建武の中興が成ると、下伊予権介に任じられ、のちに備中の守となった。
南北朝時代は、新田義貞と共に足利尊氏軍と戦った。
建武の親政が破れ、新田義貞が南朝再建の為北国に赴くとこれに従い、厳寒の越前山中で戦死を遂げた。
その間の経緯は、「太平記十七巻」に若干記載されているらしく、系図にも詳細が載っています。
通増1 系図より

KIMG0472.jpg 太平記の解説

通増3 
土居氏の松山市土居町の居城跡・萬福寺
通増2 
土居通増の供養塔

④その後河野軍団の一員として存続するも、天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国攻めに際し、河野一族は敗退(俗に河野崩れ)し、湯築城(松山城)を明け渡します。
土居は瀬戸内を渡って、美作国津山の神楽尾城主・大蔵氏を頼って落ち延び、後に下田邑の地に帰農します。文禄(1590年代)のことです。
これが作州土居家の始まりです。








プロフィール

食いしん坊2号

Author:食いしん坊2号
家庭菜園歴12年目、食べることとお酒を嗜む(ときどき(๑≧౪≦))こと大好きおやじです。最近は、”男のええ加減料理”や”漬物作り”も少しづつ出来るようになりました。

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