サル化する人間社会



毎日新聞11月10日の夕刊に、今年10月に京大の学長に就任された山極寿一先生の「毎日21世紀フォーラム」での講演の記事が載っていました。

演題は、「サル化する人間社会」

人間社会は高度な方向に向かっているのではなく、サルの社会に戻っているのではないか。

先生はゴリラ研究の第一人者で、国際霊長類学会会長も務めれた人類学、霊長類学者です。

上手く要約出来ないので、原文のまま記事にさせていただきますm(_ _)m

共感と同情 喪失の危機  IT革命、自己重視で変容

白目で気持ちを察知

 私は、人間社会のコミュニケーションの変容が、社会に危機をもたらしていると思います。それは、人間のようなコミュニケーション能力を持たないサルや類人猿を見ていると人間がどちらに向かっているのかがよくわかるからです。人間社会は高度な方向に向かっているのではなく、サルの社会に戻っているのではないか。そのことを話します。
 
 私は、アフリカの熱帯雨林の中でゴリラを研究してきました。ゴリラはチンパンジーやオランウータンと同じく類人猿のグループに属しています。類人猿はサルと同じ仲間と思われがちですが、両者の違いは類人猿と人間の差よりも大きい。

サルの社会では、力の強いサルが食べ物を独占します。しかしゴリラの社会では、体の大きな雄ゴリラは小さな子供ゴリラに食べ物を譲ってあげます。また、対面する場面でも違いがあります。サル社会では力の弱いサルが強いサルと対面した時、笑ったような表情を浮かべたり、相手の顔を見ずに視線をそらしたりします。しかし、ゴリラなど類人猿では、互いに顔を間近に近づけて対面することが頻繁に起きます。

 人間はどうでしょうか。人間の目には、白目が見えます。サルや類人猿には見えません。人間同士が対面した際には、白目があることによって相手も目のわずかな動きをとらえ、自分にどんな気持ちを抱いているかを察知します。

 人間が言葉を持ったのは、十数万年~数万年前とされています。一方、人間が今の脳の容量に達したのは60万年前。言葉よりずいぶん前です。60万年前に、人間の集団は150人ぐらいにまで膨らんでいたと考えられています。その規模までが、人間の脳の容量からみて、コミュニケーションが可能な集団の規模だということになります。

 150人規模までの集団の中で、基礎となるのは10~15人の集団です。毎日、顔を合わせ、何気ないあいさつを交わすだけで心を通わせられる集団です。その単位が、家族の単位だと思います。人間の家族はおそらく、脳が大きくなる過程で成立し、次第に社会の中心に座ったのだろうと思います。

 共同子育ての重要性

 では、なぜ、人間はそういう集団をつくることができたのか。言葉をつくる前に、共感の能力と同情の心を育てたからです。ニホンザルにも共感の能力があります。相手が何を感じているかは分かる。でも、相手のために何かしてあげたいという同情の心はない。相手が強いければこうする。弱ければこうするという基準があるだけです。

 
人間が高い共感能力を持つようになったのは、共食を通じたコミュニュケーションと、共同の子育てだったと思います。食物分配は、親から子供へと分け与えるように霊長類の種の一部で始まり、大人の間にも広がりました。そして、人間では広域で行われるようになりました。一緒に食べることはお互いの気持ちを確かめ合う重要な場となります。

ゴリラの子育ては、赤ちゃんが生まれてから一年ぐらいは母親だけで行われますが、乳離れをする頃になると、お母さんが雄ゴリラのところへ赤ちゃんを連れて行きます。そして、雄ゴリラは複数の赤ちゃんの子育てを引き受けます。バトンタッチが行われるわけです。人間の子育ての中心になったのは、お母さんとおばあちゃんだろうと思います。さらに、父親だけでなくいろいろな大人の手が必要になった。それが人間の社会を大きくしたのです。

 人間が共同体体に対して持つ意識には、①同情の心②互いに平等でありたいという互酬性(互恵性・お互い様の精神・・土居注m(_ _)m)③自分が信頼を置いている共同体へのアイデンティティー(帰属性)という特徴があります。サルは、自己の利益を最大化するために群れを作っています。サルにとっての利益とは食物を効率よく安全に食べることです。その社会には優劣があり、互酬性はありません。いったん群れを離れたら群れへの帰属性(アイデンティティー)はなくなります。

 人間の社会では、家族と共同体の論理は違います。家族とは、自分の子供が他の子供よりかわいいという「えこひいき」の論理です。一方、共同体は互いに平等につきあうことを大切にします。本来なら論理の違う二つの集団を同時に成り立たせることが、人間の能力を高めることにつながりました。

効率重視に不安を覚え

私は今、家族が崩壊し始めていると思います。人間は共感能力や同情の心など、生物学的な能力に基づいたコミュニュケーションを発達させてきました。にもかかわらず、今、それをはるかに超えるIT革命によって、コミュニケーションの領域を広げています。しかし、人間はまだそれに適応できていない。また、「自己」が重視される風潮もあります。自己実現、自己責任、自己の利益が重視されています。

  
 一方で、共同で子育てをする機会が減っています。子育ては母親が主に担うようになった。そして、食事は重要なコミュニケーションだったのに、個食になってきています。

 この家族の崩壊は、人間性の喪失にもつながります。家族が崩壊すると、共同体だけが残り、自分の利益の実現が優先し、自分と他人の間に優劣をつける集団になります。その時には、規則だけが必要で、相手の気持ちをおもんばかる必要がなくなります。サルの社会がそうです。その結果として、信頼関係は消失するようになります。効率を重視すれば、利益のみを追求する共同体となり、サルと同じようにその集団を一旦離れれば、その集団にアイデンティティー(帰属性)を持たないですみます。

 
 果たして、それで人間はいいのでしょうか。私は最近、そんな不安を抱えています。

                                                 以上
原文まま書き写させていただきました

 
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食いしん坊2号

Author:食いしん坊2号
家庭菜園歴8年、食べることとお酒を嗜む(ときどき(๑≧౪≦))こと大好きおやじです。最近は、”男のええ加減料理”や漬物作りにも興味を持ち始めてます。

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